日本人間学会の学問の系譜
日本人間学会は、その名が示す通り人間学を研究している学術団体であるが、単に学問の研究領域にとどまることなく、それが人類社会の平和への具体的貢献につながることを目的としている。
学問というものはそもそも、一朝一夕にして成り立つものではない。我々の研究においても当然のことながら、永きにわたる学統が存在し、ときには先人の業績に依拠し、またときにはそこから離脱しながら日々の研究が進められている。ではその先人とは誰であるのか。ここではこの点についてごく簡単に解説しておきたいと思う。
人間学という名称は、近年では学問以外の領域でも重宝に使われているため、かなり曖昧で多義的な概念になっている。話を学問に限って言うならば、人間学の出発は20世紀初頭に活躍したドイツの哲学者マックス・シェーラー(Max Scheler、1874-1928)の仕事のなかに求めることができ、我々の人間学の研究も、大きな枠組みで見るならその系譜に連なっているといえる。
シェーラーの哲学は、現象学の祖として有名なフッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl 1859-1938)の哲学を出発点としており、彼の後輩には、「存在と時間」の著作で有名なハイデッガー(Martin Heidegger、1889-1976)がいる。フッサール、ハイデッガー、サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre, 1905-1980)という哲学の系譜はよく知られているが、その一方で、フッサール、シェーラー、ヴィクトール・フランクル(Viktor Emil Frankl、1905-1997)という学問の流れもあり、我々の人間学は、この流れのなかに位置しているのである。
ただし、ヴィクトール・フランクルは哲学者ではなく心理学者であり、彼はシェーラーの人間学を哲学の領域で継承し発展させたわけではない。シェーラーにしてもフランクルにしても、その業績を解説するためには多くの紙数が必要となる。どちらの学者にも当然のことながら著作集が刊行されており、そこには簡単には要約できない多様性が包含されているからである。
シェーラーの哲学の特質を浮き彫りにするためには、同時代の他の哲学との比較や、前時代の哲学との比較なども必要となる。結局、哲学的人間学は、近現代の哲学の変遷を視野にとることでその位置づけが可能になるわけであるが、ここではむろん、そうした大がかりな作業をすることはできない。そこで、一つのポイントだけを指摘しておくなら、シェーラーの人間学は一つの危機意識から生まれている、ということである。このことについては、日本の哲学者である菅野盾樹氏の言葉を引用することにする。
《人間をめぐる学問が断片化に陥っている危機的状況をなんとかして克服すべく、人間を主題とした総合的学問としての「哲学的人間学」の構想が世に問われたのは、20世紀の20年代のことであった》(著書『人間学とは何か』)
もちろん、その「哲学的人間学」を構想した筆頭者がシェーラーだというわけである。では、哲学的人間学とはどのようなものであるのか。当のシェーラー自身は、この点について次のように語っている。
《現代ほど人間の本質と起源に関する見解が曖昧で多様であった時代はない。多年にわたってことこまかに人間の問題を手がけてきただけに、筆者にはそのように主張する資格が十分あるであろう。我々の時代は、およそ一万年の歴史を通じて人間がみずからにとって余すところなく完全に「疑問」となり、人間とは何かを人間が知らず、しかも自分がそれを知らないということを人間が知ってもいる最初の時代である。したがって、〈人間とは何か〉に関する確固たる認識を再び獲得しようとするならば、一度この問題に関する一切の伝統を完全に白紙に戻す意向をかため、人間という名の存在者から極端な方法論上の距離をとってこれを驚嘆しつつ注視するようにする以外に方法はない》(『哲学的世界観』)
彼はまた、次のようにも語っている。
《現代がとりわけ切実に解決を求めている哲学的課題があるとすれば、それは哲学的人間学の課題である。この場合、哲学的人間学とは、人間の本質と本質構造に関する基礎学をさしているのであり、具体的には、自然の諸領域(無機物、植物、動物)と一切の事物の根拠とに対する人間の関係、人間の形而上学的な本質起源や世界における彼の身体的・心的・精神的な始源、人間を動かすあるいは人間が動かす諸力や権力、人間の生物学的・心的・精神史的・社会的発展やその発展の本質可能性および現実性の基本的方向と基本法則を考究する基礎学のことである》(『哲学的世界観』)
哲学的人間学はシェーラーによって上記のように定義され、今からおよそ100年前に探究が開始されたのであった。
要約するならば、人類は長い歴史生存してきたが結局のところ人間とは何かを人間自身が知ることができていないままであり、現代という時代においてそのことに気づいたのであるが、その完全な解答を探し出すためにはこれまでの歴史上に考えられた人間に関する伝統的な観点を一度白紙に戻し、既成概念に囚われることなく、人間の本質と本質構造に関する基礎的な真理を探し出さなければならないということである。
その結果として、我々人間は人間の本質可能性および現実性の基本的方向と基本法則を知ることとなり、現在の危機的人間の状態から脱却することができるし、人間が作り出している社会や国家の危機を克服し平和で幸福な世界を実現することが可能となるだろう。
日本人間学会が何故に哲学的人間学を研究し、人間存在の本質における客観的な真理を探し出そうとしているのかという理由も、この平和で幸福な世界の実現を目的としているからである。
さて、シェーラーが心理学者のフランクルに深い影響を与えたことは先に述べたが、この事実は、実は我々日本人間学会の研究者にとって重要な意味を持っている。それは、フランクルと師弟関係にあった高島博氏が日本人間学会を創立しているからである。
フランクルの代表的著書『夜と霧』(1947原書刊行)をご存じであろうか。この本には第二次世界大戦のさなか、フランクルはナチスにより、ユダヤ人であるというただそれだけの理由で強制収容所に送られた。極限状況ともいえる苦難の体験を心理学者の目で分析し、人間の生きる意味と価値について深く問いかけている。この書物は、1947年の刊行以来今日までに、全世界でおよそ900万部も読まれるというヒット作となった。収容所から奇跡的に生還したフランクルは、その後ウィーン大学の教授となり、ロゴセラピーという学説を確立するに至る。この学説は、簡単に言うと、人間が存在することの意味を知ることで病んだ心を持つ患者を治癒させようというものである。
1985年に日本人間学会を設立した高島氏は、フランクルのロゴセラピーを受け継ぎつつ、医師としての立場から人間学をさらに究めようと奮闘する。氏は日本における人間学の創始者と言われるが、哲学と心理学と医学を調和的に探究した「実存心身医学」と呼ばれるその思想は、実際に治療にもちいられ大きな成果を上げた。また、氏は学術学会の使命として具体的な社会貢献の重要さを提唱された。
人間とは何かを人間自身が知らずにいることは、人間にとって最も不幸なことだといえる。なぜなら、たとえ健康な身体に恵まれていたとしても、人間としての存在の意味と価値を知らないまま生きていることは、人生が普遍的な真の目的や理想に定めることの出来ない無意味な状態で流れ去って行くことを意味している。これは、一人の人生だけが悲劇に襲われるのではない。そのような人々によって作られる社会や国家、広くは地球全体において、また時代を超えた歴史的な不幸の連鎖につながる。
人間一人ひとりが幸福で意義ある人生を生きるためにも、人類すべてが恒久的平和を手に入れるためにも、哲学的人間学における客観的真理としての解答が必要なのである。
日本人間学会では人間学研究の情熱が歴代の研究者に受け継がれ、30年近い歳月の中でより深く広範囲に渡って探究されてきた。そして、今、新しい平和のための哲学として実を結ぼうとしているのである。
日本人間学会 研究員 桜木 愼