文学と人間学 第3回
文学と人間学 第3回
今回は漱石についての話の三回目ですが、本題に入る前に、「再読の意義」という問題について少しばかり話してみたいと思います。
再読は読書の醍醐味
今回の講座「文学と人間学」でわたしが自分自身に課しているのは、若いころに読んでそのままになっている小説の再読です。
この機会に再読をしなければこれから先も読む機会はないだろう、と思う作品がわたしには多くあり、そのことに漠然とした心残りを感じはじめたところから、今回の再読の取り組みははじまっています。
小説を書くには想像力が必要ですが、それを読む側にも想像力が必要です。ところが、若いころの自分の想像力と今のわたしの想像力はだいぶ異なるため、初読と再読の読後感もかなり違ったものになります。
また、歳をとることで人生経験も増えていきますから、小説の理解もその分だけ深まっているはずです。
初読と再読の二つの点を、一本の線で結んでみる。すると、そこには多かれ少なかれ、自分のこれまでの歩みというものが浮き彫りになるでしょう。
これには、しばらく会っていない友人に会うとか、しばらく訪れていない場所を訪問するとか、そういう経験にも通じるところがあります。
とするなら、再読という行為はそれ自体、かなり意義あるものになりますね。
三島由紀夫は川端康成の「雪国」を解説した文章のなかで、「時間のロマネスク」という概念を出していますが、たしかに川端の小説には主人公の回想の場面が多くあります。過去と現在を重ね合わせることで小説の世界に深みが生まれ、またロマンが生まれます。耽美小説の傑作として知られる川端の「千羽鶴」などは、この「時間のロマネスク」を作品のプロットのなかにうまく組み込んで成功した作品だといえるでしょう。
わたしたちは愛するもの(もちろん人とは限りません)と再会したとき、「懐かしい」という感情を抱きます。ここに働いているのが「時間のロマネスク」というもので、小説の再読の醍醐味もこのあたりにあるのではないかとわたしは思います。
それから、今回わたしが漱石の作品を再読しようと思った動機のなかには、「漱石は今の自分にも面白いのか」という問題がありました。たとえば、子供のころに夢中になって見ていたテレビアニメなどは、大人になってしまうと夢中にはなれないでしょう。では、漱石の面白さの質とはどのようなものなのか。アニメの面白さなどとはどう違うのか。そのあたりのところを確認するために、わたしは自分の時間を投資して再び漱石と向き合うことにしたわけです。
作品の再読をはじめてからまだ4ヶ月ほどしか経っていませんが(しかも漱石を読むための時間がふんだんにあったわけでもありません)、「三四郎」を読み進めていた段階で、わたしは、「この文学の新鮮さはどこかしらビートルズのそれに似ているな」と思いました。
若いころから洋楽を好んで聴いてきたわたしにとって、ビートルズは特別な存在です。わたしがビートルズと出会いその音楽に心酔したのは中学2年のときでしたが、それ以来、ビートルズをまったく聴かないで過ごした時期というのは今日までありませんでした。なぜビートルズがいいのかというと、その音楽には、ビートルズならではの新鮮さや躍動感があるからです。
日本のフォークソングもずいぶん聴きましたが、アメリカやヨーロッパには多彩なロックミュージックがあります。わたしがとくに心酔したのは、クィーン、ピンクフロイド、ドアーズ、イエス、エアロスミス、ディープパープル、キングクリムゾン、ローリングストーンズなどのグループです。
彼らの音楽にも新鮮な躍動感はもちろんあるし、またそれぞれに独特の魅力もありますが、ビートルズの音楽にはそれに加えて、「心の中にすっと入ってくる親しみやすさ」とでも言うべきものがあります。
わたしが久しぶりに再読した漱石の作品のなかに感じ取ったものも、漱石独特の「親しみやすさ」でした。
そのため、漱石文学の再読はわたしにとって、「時間のロマネスク」による感動体験だけでなく、その文学の魅力の総体的な再確認という側面もあったわけです。
自我の自覚と他我の存在
では、漱石文学の中身について見ていきましょう。
漱石や鷗外のような明治の作家たちは、娯楽小説を書いていません。当時ももちろん娯楽小説はありましたが、一人の作家がどちらも書くということはほとんどなかった時代でした。この点は、たとえば昭和時代に活躍した三島由紀夫などとはだいぶ違います。
しかも、漱石の場合は朝日新聞社との専属契約のなかで小説を書いていますから、売り上げを伸ばすために内容を苦慮する必要もありませんでした。そのため、漱石の作品はそのすべてが「純文学」になっており、そういうことができたのはある意味、「古き良き時代」ではなかったかと思います。
そんな、明治時代という歴史的一回性のなかで、漱石は、人間の心のなかに潜んでいるエゴイズムの問題に取り組むことになります。
そして、この漱石的な主題が初めて明確なかたちとなってあらわれたのが、前期三部作と呼ばれる作品群においてでした。
ではこれから、「三四郎」、「それから」、「門」の三部作の世界を簡単に見ていきましょう。
はじめに確認しておきたいのは、「三四郎」を書きはじめたときの漱石の社会的なポジションについてです。
漱石が東大の教授職を辞して朝日新聞社に入社したのは、1907年4月のことでした。このとき漱石は、40歳でした。この時期の漱石の作品について整理してみると、次のようになります。
1905年 「吾輩は猫である」
1906年 「坊っちゃん」
1906年 「草枕」
1907年 「虞美人草」
1908年 「三四郎」
1909年 「それから」
1910年 「門」
1905年から1910年にかけて、漱石はおおむね一年一作のペースで小説を発表していることがわかりますね。
漱石の小説の発表の場はほぼすべて大手新聞の文芸欄でしたから、漱石にとってこれは、リスクのある綱渡りのような仕事だったのではないかと思います。
大学で文学について講義をするのと自分自身が小説を書いて新聞に発表するのとでは、どちらがいいのか。40になった漱石は、熟慮を重ねた結果最終的に後者の道を選んだわけです。
安定を選ぶなら、教授職。冒険を選ぶなら、小説家。漱石がこのような人生の冒険に着手したのは、彼のなかにそれ相応の自信があったからにほかなりません。ちなみに、小説家という職業も今の時代とは違い、文芸誌や文学賞などはなく(芥川賞のもとになる芥川竜之介すらまだ登場していない時代です)、文学を志す人間は自分の作品を同人誌に発表するのが通例でした。もちろん、同人誌に作品を発表したところで大金が稼げるわけでもありません。そのため、「作家を志す人間はみんな貧乏」というのが当時の常識でした。
そういう意味では、新聞小説という、多くの読者がすでに確保されている状態で小説が書ける身分というのは、作家として恵まれていたともいえます。
とはいえ、この特権の裏には「毎日一定のペースで小説を書かなければならない」という義務もあり、「最近ちょっとスランプだからお休みしますね」などという甘えが許されない厳しい境遇でもありました。
そして結果的に、漱石は、自分の書いたものが常に世間の目のなかにあるという緊張感のなかで、50歳で死去するまで一つのテーマに貫かれた小説を書き続けたのでした。
ここで前期三部作の話に戻りましょう。
わたしが思うに、「三四郎」という作品に着手したとき、漱石は、この作品が三部作の最初の作品になることをあらかじめ意図していたのではないかと思います。
漱石はとても頭のいい人でしたから、無計画に小説を書きはじめるということはなかったはずです。「三四郎」の主人公である小川三四郎は、熊本から東京に上京し東大で学生生活を送る青年として登場します。漱石自身の学生時代が素材になっている作品だと考えてよいでしょう。そのためこの作品は爽やかさのある青春小説となっていますが、近代小説と呼ぶにふさわしい要素がふんだんに盛り込まれている点で注目に値します。
最初の設定として漱石は、三四郎を、近代的自我に目覚めつつある若者として描いています。この物語は、三四郎が熊本から東京に上京する電車のなかの叙述からはじまりますが、この時点ですでに小説のテーマは暗に語られはじめているといってよいでしょう。
漱石は一般に、人間のエゴイズムの問題を追求した作家といわれますが、自分主義、もしくは利己主義と解されるこの概念は、漱石の文学を理解するうえで必ずしも適切なものではないように思われます。
というのは、自分が自分として存在する以上、「われ思う、ゆえにわれあり」という心の状態は極めて自然なものであり、わたしたち人間は本来、「他我中心の人生」など送ることができないからです。
したがって、自我の存在はそれ自体、悪いものでも抹殺すべきものでもありません。人類の歴史は近代に入ってから、人々が近代的自我というものに目覚める時代となりました。これは、人類歴史の極めて自然な進展ではないかとわたしは思います。
ただし、近代的自我に目覚めた人間はその後どうなるかというと、当然のことながら、自分の人生をより幸福なものにしようと考えてさまざまな努力をはじめます。それもまた人間としてごく自然なことですが、幸福な人生などそう簡単に得られるものではない、ということを漱石はよくわかっていたのでした。なぜかというと、近代的な自我に目覚めた自分の周囲には、常に多くの「他我」が存在し、自我と他我の間にさまざまな葛藤が生じるからです。
そのため、漱石の小説空間は、最初から最後まで、自我と他我の間に起こる葛藤の諸相をリアルに描いたものとなっています。そして、このような漱石的な主題は、ほかならぬ「三四郎」によって決定的な一歩を踏み出すことになったのでした。
まずはこの点が、漱石の文学を理解するうえで最も重要なポイントではないかとわたしは思います。
次に、わたしは漱石の文学にはもう一つのテーマがあると思うのですが、それはすなわち、人間世界における「男と女」というテーマです。もっとも、人類は常に「男と女」として存在しているので、「自我と他我」の問題とは別に「男と女」の問題があるわけではありません。この二つのテーマは深く重なり合っており、むしろ二つで一つと言ったほうがよいかもしれません。
人間学の立場からみても、親子関係と男女関係を抜きにしてわたしたちは人間の存在を考えることができません。言うまでもないことですが、人間が出生するには親が必要であり、そしてその親は、男女の親である必要があります。現在は同性同士の結婚も認可されるようですが、そのような形態の結婚では子孫は残せません。そのため、親子関係と男女関係の問題は人間学の(少なくとも現在わたしが構想している人間学の)最も基本的なテーマとしてあるわけです。
男女問題を深く探った文学
漱石の生涯を概観すればわかるように、実生活において漱石は、人生が狂うほどの女性問題を起こすような人ではありませんでした。
この点に関しては、たとえば、太宰治の生涯などと比べるとその差がよくわかります。
漱石は何よりも「尋常なる紳士」であり、40歳になってからは、職業作家としての責務を全力で遂行した人でした。したがって、彼には離婚歴もないし、不倫の事件などもありません。
では、漱石は女性に縁のなかった作家だったのかというと、もちろんそうではありません。彼はいわゆる遊び人ではありませんでしたが、風流やユーモアを解することのできる人であり、もしも今の時代に生きているなら、気の利いたギャグなども飛ばすような人だったと思われます。そして、これらはすべて女性にモテる要素ですから、彼に好意を寄せる女性は多くいたのではないかとわたしには思えます。
女の立場から見て、彼がこれといった魅力のない「その他大勢の男」に過ぎない人であったなら、漱石と女性との関わりは世間並みのものになっていたことでしょう。もしそうであったのなら、漱石は自らの小説のなかにあんなにも的確に女性の振る舞いを描き出すことはできなかったはずです。
この問題に関して、今回の再読のなかでわたしが新たに気づいたのは、太宰治と夏目漱石の風貌にはそれぞれ独特の魅力がある、という点です。
太宰治についてはまた別途話す機会を持ちたいと思っていますが、残されているさまざまな写真を見る限り、この二人は「女が放っておけない男」だったのではないかと思われます。太宰の風貌のなかには女性の母性をくすぐるような陰りがあるし、漱石の、「男性美」の側面も持ち合わせたあの知的な風貌も、女性には心惹かれるものであったのではないでしょうか。
事実、漱石には多くの弟子たちがいました。明治という時代のため女性は少なかったものの(たとえば女流作家の野上弥生子などがいました)、こころ密かに漱石に思いを寄せていた女性は案外多かったかもしれません。
男と男の間には友情が生まれ、男と女の間には恋愛が生まれます。友情と恋愛の板挟みになって苦悩するという事態は現実の世界でも頻繁に発生しますが、漱石は小説のなかにこのような設定をすることで、「自我と他我の相剋の問題」をわたしたちの前にリアルに描き出してみせたのです。
では、このあたりのところを具体的に見ていきましょう。
今回の話のテーマは「前期三部作」を軸とするものですが、それ以前の漱石の作品にも魅力的な女性が登場します。以下、時系列に沿って整理してみましょう。
まずは、「吾輩は猫である」ですが、物語の語り手であるこの猫はオスの設定になっており、当然のことながら、彼の前にかわいらしいメス猫が登場することになります(こういう場面で魅力的な異性が登場するのは小説の常套手段です)。この美人の三毛猫は名前を三毛子といい、ふざけたネーミングも作品世界の雰囲気によく合っていますが、「吾輩」が三毛子にほのかな恋情を抱いて近づいても彼女の方は「吾輩」を軽くいじるだけ、というストーリーの展開も卓抜です。このメス猫はすぐに死んでしまい物語から姿を消しますが(漱石はこの小説をはじめは短編として構想していたようです)、こうした例からも、漱石の文学では女性が重要な役割を持っていることがわかります。
次に、「猫」以後の漱石の作品のなかの、「坊っちゃん」「草枕」「虞美人草」「三四郎」に登場する女性について見ていきましょう。
「坊っちゃん」にはマドンナという名前の女性が登場します。もちろんこれは本名ではありませんが、漱石はこの作品の主要な人物にあだ名をつけているので(それがこの作品の魅力の一つになっています)、この物語に登場する紅一点の存在にもマドンナという名を与えているわけです。
マドンナは主人公の同僚の英語教師「うらなり君」の婚約者でしたが、「赤シャツ」(教頭)の策略によって婚約の破棄に追い込まれ、さらにはその女性を赤シャツに奪われてしまいます。この事件に憤った主人公は「山嵐」と組んで赤シャツとその子分の「野だ」を成敗しますが、物語はここにおいてクライマックスを迎え、そしてエンディングに至ります。マドンナの事件は物語の必須要素として機能しているわけですから、「坊っちゃん」においても女性は重要な役割を担っているといえます。
ちなみに、マドンナという名前は同名の歌手の活躍によって世界的に有名になりましたが、彼女の登場よりもはるか以前に漱石は「マドンナ」を登場させているので、彼のネーミングの才もなかなかのものではなかったかと思います(たとえば「猫」に登場する「迷亭」という人物の名前などもなかなか洒落ています)。
また、「草枕」や「虞美人草」のなかにも魅力的な女性が登場します。「草枕」には後半、那美さんと呼ばれる女性が登場し、物語のなかで大きな役割を担います。この女性は主人公が滞在する温泉宿に住む未亡人ですが、画家として登場する主人公はこの女性に深い影響を受けることになります。
「虞美人草」においても、そこに登場する女性の役割は重要です。というより、この小説の主人公はそもそも女性であり、漱石にとってのはじめての恋愛小説になります。ちなみに虞美人とは、中国の歴史に登場する絶世の美女「虞姫(ぐき)」を指し、中国の名将項羽の愛妾として有名です。また、虞美人草という名の花も存在します。
では、最後にもう一度「三四郎」の話に戻りましょう。
すでに見てきたように、「三四郎」は大学に入学したばかりの青年の物語ですが、青年の成長に欠かせないものといえば、やはり恋愛でしょう。「三四郎」のなかには美禰子という名の女性が登場し、三四郎に大きな影響を与えます。彼女は最終的には別の男と結婚しますが、そうであればなおさら、美禰子が三四郎に与えた影響は甚大だったといえます。
漱石文学における男女問題について考えてみるとき、前期三部作の二作目にあたる「それから」はとても重要なものとなります。「それから」とは、「三四郎」の物語のその後といったほどの意味ですが、この作品において漱石は、人間存在における男と女の愛の問題を本格的に扱うことになります。
ただし、「それから」と「門」に登場する女性についての話は、回を改めてすることにしましょう。
次回は、「それから」と「門」および「後期三部作」に登場する人物に着目し、人間学の見地から漱石の小説について考えてみたいと思います。
では、今回の話はこのへんで。
関根 均 (せきね ひとし)
1960年生まれ。 慶応大学卒業。専攻は国文学。2010年日本人間学会に入会。現在、研究会員として人間学の研究に取り組んでいる。
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