人間学の現在(8)

前の講座で予告したとおり、今回は、菅野盾樹氏の『人間学とは何か』に対する解説となります。

菅野氏のこの著作は、わたしの知るかぎり最も優れた人間学の入門書であり、そのためわたしのこの講座も、菅野氏の仕事を主要なベースにしています。

そこで今回は、『人間学とは何か』に対する全体的な解説を試みることにしましょう。

この著作に対する読者のみなさんの正確な理解を期するため、今回は引用の部分が長くなると思いますが、その点はあらかじめご了承ください。

『人間学とは何か』の概要

この書物は、11の章から成り立っています。それぞれの章にはタイトルがあり、また、いくつかの小見出しが設けられています。

各章のタイトルを以下に列挙しておきましょう。

 

第1章 人間学の誕生-ソクラテスの場合

第2章 人間学の基礎と方法

第3章 人間観の類型学からミニマム人間学へ

第4章 ホモ・シグニフィカンスの存在論(1):身体

第5章 ホモ・シグニフィカンスの存在論(2):言語

第6章 ホモ・シグニフィカンスの存在論(3):心

第7章 〈人格〉としての人間

第8章 子供と大人

第9章 性を生きる人間

第10章 人生の意味と無意味

第11章 死

 

上記のタイトルを一望しただけでも、この書物が、人間学のスタンダードな入門書を意図したものであることはお分かりになるでしょう。

ただし、「ホモ・シグニフィカンスの存在論」という用語は、一般の人には耳新しいものでしょうから、「なんだろう」ということになるかと思います。

この概念については次回の講座で解説する予定ですが、著者の人間学研究も20世紀以降の哲学の流れを反映したものであるため、わたしたちにも昨今の哲学思潮に対する基本的な理解が必要になります。

そのため、次回の講座では、哲学の話も交えつつ「ホモ・シグニフィカンス」について解説することになりますが、一般の人に理解できない人間学の話にはしたくないので、この用語についてもなるべく平易な解説をするつもりです。

 

この著作の構成の話に戻りましょう。

第1章から第3章までの内容は、本講座でもすでにある程度の解説を行っています。

ですから、その内容をここであらためて解説する必要はないでしょう。

この書物の第1章から第3章までの内容は、第4章以降の内容を導くための導入の役割を果たしています。

ところが第4章以降は、いわゆる現代哲学の基礎的な素養が必要となる内容であり、哲学の基礎知識なしに誰もがサクサク読めるような話にはなっていません。

本文のなかで著者が引き合いに出している人物たちも、デカルト、ユクスキュル、メルロ=ポンティ、カッシーラー、グッドマン、ソシュールなどであり、これらのひとたちの著作は、決して広く一般に読まれているわけではありません。

わたし自身も、ユクスキュルやグッドマンなどは、本書によって初めて知ることになった人物でした。

したがってこの講座の役割のひとつは、いかにして哲学の専門用語を使わずにこれらのひとたちの仕事を説明し、いま現在の人間学の到達点を平易な言葉で叙述するか、というところにあります。

さいわいなことに、菅野氏の文章は非常に明晰で、含蓄のある表現に富んでいながら、その叙述に曖昧な部分はまったくありません。これはわたしが思うに、学術書の文体のひとつの模範というべきものです。

学術書はともすると、難解な用語の乱用によって全体の要旨が定かでないものになりがちですが、この著作は、いろいろとあら探しをしたとしても不要な表現を見いだすことはできず、用いられるすべての術語がきちんとストライクゾーンに入っています。

「学者なのに品格のある文章が書ける」というのは、じつは世間にそうたくさんあるわけではないので、そういう意味でも、この著作は、人間学の研究を志すわたしたちにとってありがたい文献だということができるでしょう。

菅野氏の著作をはからずもずいぶん褒めてしまいましたが、この著作の冒頭で、著者自身が『人間学とは何か』の概要を語っているので、少し長くなりますが、以下に引用しておきましょう。

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私は以下の章を費やして人間学の構想を具体的に明らかにしてゆくことにしたいが、読者のための道案内という意味で、はじめにこの場所で各章の内容についてごく簡略に説明しておきたい。

第1章では、歴史を顧みるとき、古代ギリシアの哲学者ソクラテスの思索によってその後の人間学の骨格ないし基本的構成が-ある意味では決定的に-形づくられた次第を具体的に調べることにしたい。

第2章では、人間学と経験科学との関係に留意しながら、人間学がどのような成立基盤をもつのか、科学が前提する存在論とは異なる、人間学に固有の存在論とはどのようなものかを明らかにする。

次の第3章では、二十世紀ドイツで提唱され探究された「哲学的人間学」が生んだ一つの成果である人間観の類型学を批判的に考察し、それに代わる案として「ホモ・シグニフィカンスの人間観」を提案する。その具体的内容については、本章以降の各章で展開することにしたい。

第4章、第5章、第6章の三つの章の目的は、人間の存在構造を新たな人間観(すなわち、ホモ・シグニフィカンスの人間観)に立って模索しつつ描写することである。これらの章では、本書とは異なる見地の吟味や歴史的考察はひとまずおあずけとして、できるだけ端的に著者の見地を打ち出すことを目的としている。読者には、あくまでもこれらの考察を無批判に受け入れるのではなく、人間の存在構造解明への一つの糸口として、自分自身の思索を深めるために役立てていただきたいと思う。

第7章から第9章の三つの章は、前の三つの章で検討した人間の存在構造がもっとも基礎的な部面に限られるとするなら、存在構造のいっそう具体的かつ展開を遂げた形態について考察をおこなう。すなわち、第7章では、カテゴリー論の見地から〈人格〉というあり方を批判的に調べることになる。ついで第8章では、人間は発達する生き物であるという基本の視点から〈大人〉との比較で〈子供〉について論じる予定である。また第9章は、性を生きざるをえない人間のあり方について基礎的な問題を考えてみる。

残された二章は、いわば人生論的な要素ももちあわせた人間学的考察となるだろう。人生の意味と死とがそれぞれの章のテーマである。もちろん限られた紙面のために委細をつくした議論は不可能だし、経験科学からの知見もほとんど採り上げることができないが、問題の眼目は明確にしたいと考えている。

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以上が、著者自身による『人間学とは何か』の概要です。

人間学の二つのテーマ

いましがた引用した菅野氏の叙述のなかに、次のようなくだりがありました。

「古代ギリシアの哲学者ソクラテスの思索によってその後の人間学の骨格ないし基本的構成が-ある意味では決定的に-形づくられた」

「ある意味では決定的に」という言い方が、少し気になりますね。人間学にとって、ソクラテスは何かしら決定的な役割を果たしているようです。

周知のように、ソクラテスは哲学の歴史において非常に重要な仕事をした人物ですが、人間学の見地から見たかれの業績については、本講座でも、第6回のところで解説しています。

ごく簡単に要約すると、ソクラテスは次の二つの問いを立てることによって(そしてそのテーマの探究を展開することによって)、その後の哲学の歴史に大きな影響を与えることになったわけです。

  • 人間とは何か、という問い。
  • 人間としてどのように生きたらよいのか、という問い。

当時はまだ自然科学のない時代でしたから、「人間とは何か」という問いを立てたところで、満足のいく回答が得られたわけではありません。

そればかりか、自然科学が急速に発展しつつある現代においても、「人間とは何か」という問題に関しては、いまだに十分な回答が得られていません。

その点を考慮に入れて考えてみても、ソクラテスの仕事はやはり重要です。

なぜなら、適切な問いを立てるということは、それ自体において重要な意味を持つからです。

人間学には、じつは二つのテーマしかありません。それが、ここに挙げた二つの課題であり、二千年以上も前にソクラテスが提起したものです。

この点については、『人間学とは何か』のなかにも次のような説明があります。

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人間学の固有な主題が〈人間〉であることは言うまでもない。人間学とは人間を主題とする知的探究である。もっと精確にいうと、人間学とは〈主題〉としての人間についての二つの基本的な問い-第一に、人間存在とはどのようなものかという問い(存在論)、第二に、人間の善い生き方とはどのようなものかという問い(倫理学)-をめぐる知的探究である、ということができる。存在論が人間なる存在者の〈構造〉を哲学的に解明する仕事を受け持ち、倫理学の仕事が、人間の行動や人格の善し悪しを吟味し正しい生き方を探索すること-約言すれば、人間的な〈価値〉と〈規範〉の解明に当たることにあるとするなら、以上に見てきたように、ソクラテスの思想はすでに「人間学」の名に値すると言わなくてはならない。哲学史上はじめて本格的に人間の構造と価値について思索を傾けたのは、まさにソクラテスだったからである。

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人間学には二つのテーマしかないとすれば、わたしたちが最初にとりくむべき課題は、「人間の存在構造の解明」になります。第一の課題が明らかにならないまま第二の課題に移ることはできないからです。

『人間学とは何か』を読んでみると、菅野氏はこの第一の課題に対して、「ホモ・シグニフィカンス」という回答を提起していることがわかります。そして、この点に着目してこの書物を概観すると、『人間学とは何か』は、前半(第1章から第6章)が人間の存在構造の問題についての話、後半(第7章から第11章)が人間の生き方の問題についての話になっていることがわかります。

とするなら、人間学のテーマ自体はソクラテス以来変わっていないわけで、わたしたちはまず、この点を了解しておく必要があるでしょう。

逆に言うと、この点さえ了解してしまえば、この学問はかなり明瞭な輪郭をわたしたちに示してくれることになります。

前回の講座で、わたしは「新しい人間学」の構築を予告しましたが、日本人間学会の研究のテーマも、ひとつは人間の存在構造の解明であり、もう一つは、人間のより良い生き方についての探求です。

もしもこの二つの課題が統合的なものとして解明されるとすれば、それはおのずから、グランドセオリー、というべきものとなるでしょう。

ここで言うグランドセオリーとは、世界の成り立ちから世界の終わり(世界の壊滅や消滅ではなく理想的な世界の実現といったほどの意味です)までを一貫した論理で説明するもので、言うまでもなく、わたしたち人類の歴史においてはまだ一度も現れたことがありません。

キリスト教の神学や共産主義の理論などはグランドセオリーに近いものと言えますが、この二つの理論にはイデオロギーの要素も多分に含まれており、「信じれば真実になる」といった次元のものにとどまっています。

そして、この二つの世界観の水と油のような関係が、現在のアメリカと中国の対立の遠因(ある意味では最も主要な原因)となっているわけですが、この問題についてはまた別のところで話すことにしましょう。

わたしの見るかぎり、日本人間学会は、人類に平和をもたらすグランドセオリーの構築を究極の目標としているようです。

そうであるならば、自分もその崇高な目標に微力ながら協力しよう、というのが、わたしが現在、この学会で研究活動を続けている理由です。

当会の創立に深い関わりのあるヴィクトル・フランクル(1905~1997)も、人類の平和を強く願い求めていたひとでした。フランクルは、第二次世界大戦において、ヒトラーの率いるナチス・ドイツのいわゆる「ホロコースト」を身をもって経験したわけですから、かれの平和への願いは切実なものでした。

フランクルが提唱したロゴ・セラピーは、当会創立者の高島博先生に継承され(このお二方は長年にわたって親しい交際を続けていました)、哲学のみならず、宗教や自然科学といった分野も視野に入れた学際的な人間学研究がはじまったわけです。

人間学に基づく平和論の探求は、日本人間学会の当初からの研究課題であったといえるでしょう。

「意味」を求める存在としての人間

このあたりで、今回の話の内容をまとめておきましょう。

菅野氏の提起した「ミニマム人間学」の功績は、ホモ・シグニフィカンスという人間観をわたしたちに示したことにあります。

この新しい人間観については次回の講座で解説しますが、話をわかりやすくするため、菅野氏が用いているシグニフィカンスという用語の意味を、ここで確認しておきましょう。

significanceを辞書で調べてみると、「有意」という訳語がでてきます。「有意」は日常語としてはあまり用いられませんが、有意義という言葉の意味とほぼ同じです。

これは元々数学や統計学の分野において使われはじめた用語で、確率的に偶然とは考えにくく何らかの意味があるとみなされる事象に対して使われる言葉です。

このシグニフィカンスという用語にホモ(人間)という用語を組み合わせて、ひとつの学術用語をこしらえたわけですね。

ただし、ホモ・シグニフィカンスという用語自体は菅野氏の発案ではなく、前世紀のなかばくらいから用いられています。

この用語を自覚的に用いた著名人はロラン・バルト(1915〜1980)で、かれはこのことばを、どちらかというと否定的なニュアンスで用いています。

日々の小さな出来事にも「意味」を求めてしまうのが人間というものだ、といった具合にです。

これは、たとえば、「時間ができたので前から観たいと思っていた映画を観てみたが、あまり面白くなかった。意味のない休日を過ごしてしまった」といったことを指します。

たとえ休日であっても「意味のある余暇を過ごしたい」と思うのが、人間のサガだというわけです。

ちなみに、柄谷行人(1941~)の著作に『意味という病』というものがありますが(これはこれとして興味深い評論集ですが)、これなどは「ホモ・シグニフィカンス」とは何の関係もありません。

菅野氏は、バルトなどが軽い気持ちで使っていたホモ・シグニフィカンスという用語を人間学のなかに持ち込み、それに重要な意味を持たせ、新たなる人間観として再生させたわけです。

フランクルのロゴ・セラピーと「ホモ・シグニフィカンスの人間観」とは不思議なつながりがありますが、この点についてはまた別の機会に話すことにしましょう。

余談になりますが、今回の講座の準備のために「ホモ・シグニフィカンス」をグーグル

で検索したところ、「人間学の現在(3)」の情報が1ページ目の上のほうにヒットしたのには驚きました。

この用語は、一般にはまだほとんど普及していないもののようです。

 

では、今回の話はこのへんにしておきましょう。