人間学の現在(6)

人間学

前回は人間学の意義などについて話しましたが、これに関連することがらとして、今回は人間学の必要性について話してみたいと思います。

人間学は人間の存在を探求のテーマとする哲学ですが、人類の文明がどんなに進歩しても、哲学の必要性がなくなることはないでしょう。そしてまた、哲学の主体はいうまでもなく人間ですから、人間が人間について考察する必要性がなくなることもないでしょう。

このように、いわゆる三段論法的に考えてみると、人間学の必要性はすぐに理解できますね。ただし、今回はこうした一般論とは別の話をしてみようと思います。

ジャーナリズムと人間学

好むと好まざるとにかかわらず、わたしたちは現在、高度に情報化した社会のなかで暮らしています。マスメディアが発達し、多様な言論に触れる機会が昔に比べて格段に多くなりました。ところが、世の中に流通している情報は、そのすべてが十分に吟味されたものであるとは言えません。また、公正なものであるとも言えません。

近年の先進国が実現したユビキタス社会(情報が遍在する社会)には便利な面も多々ありますが、思わぬ落とし穴もあります。

メディア・リテラシーは、情報化社会に生きる人々にとっていまや必須のスキルとなっていますが、実際にはデジタル技術のほうが先行して発達してしまい、情報の洪水のなかで自分を見失う人(情報難民)を量産しているのが今日の社会の現状といえます。

メディア・リテラシーとは、「民主主義社会におけるメディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージへアクセスし、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力(Wikipediaより)」を意味する用語です。

しかしながら、このような高度なスキルは一朝一夕に身につくものではありません。

若者たちはおおむね、メディア・リテラシーを十分に身につけないまま社会に旅立つことになりますから、多かれ少なかれ「情報難民」の窮地に陥るリスクを抱えています。

一般のメディアは広告をおもな収入源にしていますから、スポンサーは常日頃、自分たちに都合のいい情報をお金の力で世間にばらまいています。

そのなかには意図的に操作されたものも多く、それらを真に受けてしまうと後々痛い目に遭うことも珍しくありません。

また、SNSのような個人発信の情報のなかには時として、信じてしまうと危険なフェイク・ニュースなども見受けられます。

人間学は、騒がしいジャーナリズムとは一線を画したところで、人間についての根本的な問題について考察する学問です。

世の中に生起している多様な出来事を冷静に吟味する力は、このような知的な訓練において養われるものでしょう。

ジャーナリズムの情報操作に惑わされない確かな目を養うこと。また、コマーシャリズムを背景とする煽情的な言論に対して批評的に接することのできる広い視野を養うこと。そしてそのために、人間についての幅広い見識を平素から身につけておくこと。

これが、人間学を学ぶ今日的な意義ではないかとわたしは思います。

実学としての人間学

今日のように社会が複雑になると、情報も複雑になるし価値観も多極化します。そんな社会のなかにわたしたちは現にこうして生きているわけですから、メディア・リテラシーのスキルは重要です。

アメリカと中国が対立しているのも、国是とする思想が異なるからであり、この二つの大国の対立は、思想的に見るならば有神論と無神論の対立と捉えることができます。

共産主義の思想は、人間の類型学の観点から見ると、ホモ・ファーベルの思想です。モノを作ることで人は猿から人間に進化した、という世界観ですね。

マルクスの思想はもともとキリスト教のアンチテーゼとして生まれていますから、キリスト教と共産主義の対立は運命的です。

共産主義の勢力のなかから過激派と呼ばれる集団が生まれたのも、ひとつの主義主張が極端なイデオロギーに発展し、「革命(大善)のためには暴力(小悪)も許される」といったドグマが形成されたからでしょう。

戦後の一時期、過激派の運動に取り込まれていった学生たちも、運動の根拠となっている思想を客観視するだけの視野を持っていたとしたら、ハイジャックなどの犯罪行為にまで手を染めるようなことはなかったはずです。

ひとつのイデオロギーに過ぎないものを絶対的な真理と思い込んでしまうところに、大きな悲劇が生まれるのです。

人間学は、世界観の視野を広げることに役立つ学問です。そういう意味では、人間学にも実学的な側面があるといえるでしょう。

広い視野と主体的な判断力があるならば、目の前のイデオロギーにのみこまれて人生を空費してしまうリスクも避けられますね。

明治維新の激動期に福沢諭吉が『学問のすゝめ』を出したのも、広い視野を養い、物事に対して主体的な判断のできる人材を育成することが目的でした。

福沢は慶應義塾という私塾を主宰することでこの目的を生涯にわたって実践しましたが、この大学が「実学」を重んじ、実業界に多くの人材を排出しているのもうなずけることがらです。また、「独立自尊」という慶應義塾の建学の精神は、今の時代にも有意義なものだといえるでしょう。メディア・リテラシーのスキルは、「独立自尊」の精神(これはいわゆる個人主義とは異なります)が根底にあって身につくものだと思うからです。

今回は、人間学を学ぶ必要性についての話でした。

では、このへんで。