3.結果 (2) ヴィクトール・フランクル

フランクルの強制収容所体験

ヴィクトール・フランクルは、その過酷な強制収容所体験を、解放直後の1946年に一冊の本としてまとめた。それが「心理学者、強制収容所を体験する」(Frankl, 1946 = フランクル, 夜と霧, 1956) である。その後1977年に改訂版「…それでも生にしかりと言う」(Frankl, 1977 = フランクル, 夜と霧. 新版, 2002) が出された。著作の目的についてフランクル自身は以下のように述べている: これは事実の報告ではない。体験記だ。ここに語られるのは、何百万人が何百万通りに味わった経験、生身の体験者の立場にたって「内側から見た」強制収容所である。だから、壮大な地獄絵図は描かれない (Frankl, 1977, p. 17 = フランクル, 2002, p. 1)。

フランクルの精神の崇高さについて、初版を1956年に翻訳出版した、霜山徳爾が指摘している: この本は冷静な心理学者の眼でみられた限界状況における人間の姿の記録である。そしてそこには人間の精神の高さと人間の善意への限りない信仰があふれている。だがまたそれはまだ生々しい現代史の断面であり、政治や戦争の病誌である (霜山, 1956, p. 207)。

また新版の訳者、池田香代子は、フランクルが新版 (Frankl, 1977) で追加した箇所に注目し、フランクルが新たに指摘したかった普遍的な視点をきっちりと切り取っている: 旧版には「ユダヤ」と言う言葉が一度も使われていないのだ。…ところが新版では、新たに付け加えられたエピソードのひとつに、「ユダヤ人」という表現が二度出てくる (フランクル, 2002, p. 143)。ついにアメリカ軍と赤十字がやってきて収容所を管理下に置いたとき、ユダヤ人グループが収容所の所長をめぐってアメリカ軍司令官と交渉した、という逸話である(池田, 2002, p. 167): 解放後、ユダヤ人被収容所たちはこの親衛隊員 [収容所の所長] をアメリカ軍からかばい、その [アメリカ軍の] 指揮官に、この男の髪の毛一本たりともふれないという条件のもとでしか引き渡さない、と申し入れたのだ。アメリカ軍指揮官は公式に宣誓し、ユダヤ人被収容者は元収容所長を引き渡した (Frankl, 1977, pp. 128-129 = フランクル, 2002, p. 143)。

池田は続ける: 彼らユダヤ人は、この温情的な所長をかばったのだ (池田, 2002, p. 167)。…だからこの時期、『夜と霧』の作者は、立場を異にする他者同士が許しあい、尊厳を認めあうことの重要性を訴えるために、この逸話を新たに挿入し、憎悪や復讐に走らず、他者を公正にもてなした「ユダヤ人被収容者たち」を登場させたかったのだ、と私は見る (同上, p. 168)。

ここでフランクルは和解の道を示したのである。フランクルの普遍的立場は、その後1985年の「最終的な意味を求めて」(Frankl, 1985) で「普遍的宗教性」という言葉によって、より明確に示されることになる。後に触れることにする。

上智大学霜山徳爾

日本におけるヴィクトール・フランクル研究は、フランクルと個人的な厚い親交を確立した上智大学霜山徳爾によって開拓された。霜山は戦後すぐに西ドイツへ留学し、フランクルが拠点とするウィーンを何度か訪れている (霜山, 1986, pp. 207; 霜山, 2002, pp. 160-162; 霜山, 2015, pp. 75-76)。このような直接的なフランクルとの交流によって、霜山はフランクルの人間性やその思想について理解を深めて行った: 思想的にも彼はあらゆるヘブライズム的なものから自由であったし、ヒューマニスティックな暖かい良識で、すべての人々をつつんでいた。従って医師というよりは一人の思想家として、キリスト教的世界から大きな親和性をもって迎えられていた (霜山, 2002, p. 160)。

1905年生まれのフランクルは1997年心不全によって亡くなった。フランクルの原稿などの知的資産は、1992年に設立されたウィーン・ヴィクトール・フランクル研究所で管理保管されることになった。そして全世界的なフランクル研究の拠点として、世界のフランクル研究を推進して今日に及んでいる。

このような研究環境の整備も相まって、フランクルの思想の豊さを研究する日本人研究者・ジャーナリストが後に続くようになった。諸富祥彦 (2013a, 2013b, 2016)、山田邦男 (2013a, 2013b)、永田勝太郎 (2013, 2017)、河原理子 (2013, 2017) などがそうである。

東京都武蔵野市: 日本人間学会

上記のフランクル研究は、フランクルの思想について、主に「夜と霧」に依拠して進めている。しかし、フランクルは国際的に実存分析 (Existenzanalyse) およびロゴセラピー (Logotherapie) の創始者として知られている (le Vaou, 2006; Längle, 2011; Lukas, 2011; Längle, 2014; Lukas, 2014; Kühn, 2015; Abrami, 2015; Längle, 2016; Batthyány, 2017; Sarfati, 2018)。つまりフランクルの本来の業績である哲学 (実存分析あるいは存在論的人間学) および医学 (ロゴセラピーあるいは実存療法) について、日本ではほとんど考慮されていないという、不幸な状態が続いている。世界的に見ても、日本におけるフランクル研究水準の低さは際立っている。

この欠落の穴埋めを行なっているのが日本人間学会である。1985年にフランクルの直接的支援の下で設立された学術団体が日本人間学会なのである。世界的なフランクル研究の中心であるウィーン・ヴィクトール・フランクル研究所 (アレクサンダー・バチャーニ理事長) によって正式に認定された国際的フランクル研究機関である。

創立者の髙島博理事長 (医師 MD, 医学博士 PhD) は、ヴィクトール・フランクル (医師 MD, 医学博士 PhD) との厚い個人的信頼関係を築いていた。その豊かな交友と学術交流は、談笑する二人の写真と共に、髙島 (1988 [2016]) で知ることができる。

また日本人間学会会員は2012年10月にウィーン・ヴィクトール・フランクル研究所を訪問し、アレクサンダー・バチャーニ理事長と懇談して、日本人間学会はヴィクトール・フランクル研究所から正式に提携機関としての承認を受けた (日本人間学会, 2012)。さらにヴィクトール・フランクルの自宅を訪問し、エレノア・フランクル夫人と交流を行った (同上)。

その返礼として、2014年11月9日に、東京の会議へ出席するために来日されたヴィクトール・フランクル研究所アレクサンダー・バチャーニ理事長御夫妻が、東京の日本人間学会事務所に訪問された。そこで「昨今の混乱する世界情勢に鑑み、今こそ新しい世界平和の為の哲学が必要であることを話し合い、積極的な双方の協力関係により平和構築ために貢献していくこと」を確認した (日本人間学会, 2014)。

日本人間学会での学術活動として、以下の三つを挙げることができる。

一つ目が、哲学分野であり、実存分析・人間学に関する研究である: 髙島 (2010a, 2010b), 瀧 (2011, 2012), 崎谷 (2016, 2022b)。

二つ目が、医学分野であり、ロゴセラピー・実存療法に関する専門的研究である: 髙島 (2011), 崎谷 (2018a, 2018b, 2022a, 2023)。

三つ目が、人間学の実践としての社会運動であり、ベナン共和国の民主化の紹介 (Gbevegnon, 2022; ベベニョン, 2022)、ネパールの民主化支援 (日本人間学会事務局, 2013) などに関わってきた。

このアフリカ・ベナン共和国の民主化が「和解から平和へ」というプロセスを経たものであったこと (Gbevegnon, 2022, pp. 24-60, 130-196; ベベニョン, 2022) は、非常に貴重である。日本人間学会は、親善大使エマニュエル・ベベニョン氏と共に、積極的にその意義を世界に発信して行った (Gbevegnon, 2022, pp. 40-43, 160-164)。

フランクルの学術的遺産を引き継ぐためには、フランクルがそうであったように、医師 MD, 医学博士 PhD という高い専門性が要求される。上記に挙げた専門論考執筆者である日本人間学会創立者髙島博、現在の代表理事瀧順一郎、研究会員崎谷満のいずれもが医師 MD, 医学博士 PhD という専門的立場から学術的貢献を行なっている。逆に、この専門性の高さが、一般読者を対象とした上述の研究者ジャーナリストからは理解されない傾向があるので、このギャップが埋まらないまま現在に至っている。

兵庫県神戸市西区 (西宮市甲風園から移転): CCC研究所

日本人間学会に加え、日本においてフランクルの学術的遺産を引き継ぐ流れとして、上智大学霜山徳爾の直弟子である福岡女学院大学原口芳博を経て、CCC研究所の所長の私、崎谷満 (医師 MD, 医学博士 PhD) へ伝えられていた (崎谷, 2020, p. 375 = 2022, p. 1)。前述したように、CCC研究所は1997年に西宮の甲風園で設立され、21世紀の開始と共に現在地へ移転した。

CCC研究所は京都大学を基盤にバイオサイエンス・分子腫瘍学の共同研究を進めており (崎谷, 2011a; Sakitani, 2022d, 2023a, 2023b, 2023d, 2023g)、また臨床医学については (崎谷, 2012b, 2012c, 2020b)、国際ホスピス緩和ケア学会 (IAHPC) (2014年に Recogning Royalty Award of IAHPC 受賞. IAHPC, 2014) および WHO (WHO と IAHPC との共同企画「緩和ケア定義の見直し」に参画. 2019年に確定した緩和ケア定義の日本語版は私と日本人間学会瀧順一郎代表理事と共に作成した. IAHPC, 2019) との提携により、国際的な研究をリードしている (Sakitani, 2023f, 2023h; 崎谷, 2019, 2020a, 2023)。フランクル研究については日本人間学会と緊密に連携している (崎谷, 2016, 2018a, 2018b, 2022a, 2022b, 2023)。

特に、終末期におけるロゴセラピー (実存療法) については、その理論化を経て (崎谷, 2020 = 2022a)、私自身も IAHPC を通して関わった (IAHPC, 2019) WHO の地域包括ケアという大きな理論的枠組み (Sakitani, 2023f) の中で、フランクルのロゴセラピーの可能性について、新たな視点を提供し (Sakitani, 2023h; 崎谷, 2023)、国際的議論を喚起している 。

私は、京都大学ウイルス研究所日沼頼夫教授 (2002年ノーベル賞受賞候補, 2009年文化勲章受賞) の下で、成人T細胞白血病 (ATL)、その起因ウイルスであるヒトT細胞白血病ウイルス・タイプ1 (HTVL-1) による ATL 腫瘍化機序の研究に従事した (Sakitani et al., 1987; 崎谷, 2011a; Sakitani, 2022d, 2023a, 2023b, 2023d, 2023g)。その後、分子腫瘍学全般に研究対象を拡大した (崎谷, 2011b; Sakitani, 2022d, 2023a, 2023c, 2023d, 2023e, 2023f)。また日沼教授の研究テーマである HTLV-1 の分子疫学・ウイルス人類学・分子人類学という新たな学問分野の開拓にも協力した (日沼・崎谷, 2003, 2005, 2008a, 2008b, 2009a, 2009b, 2011a)。

CCC研究所が扱っている研究領域は、理系 (バイオサイエンス, 臨床医学, 精神医学)、文系 (哲学, 多元論) の双方をカバーする学際研究 (multidisciplinary studies) を特色とする。具体的には以下のような分野で研究を推進している。なおCCC研究所の紀要 Vox Propria (ISSN 1344-2074) は欧文での多言語による専門誌である。一時中止していた日本語での投稿も2021年以降受け付けている。

一つ目は、理系文系双方に渡る学際研究の特色を活かした多文化多宗教共存論 (cultural and religious pluralism) である。日沼教授のウイルス人類学・分子人類学も含まれる: Sakitani (1999), Sakitani & Yamaura (1999), Sakitani (2001), Yamaura (2001), Ferrer i Gironès (2003), Sakitani (2003a), Tsukahara (2003), Sakitani (2003b), Esteve & Esteve (2007), Sakitani (2007a), Maeyama (2007), Sakitani (2007b), Sakitani (2011), Maeyama (2011), Sakitani (2012, 2016e, 2016e, 2021b), 崎谷忍 (2022), Sakitani (2022b, 2023i, 2023j, 2023k), 崎谷忍 (2024).

二つ目は、フランクルの実存分析を含む哲学宗教研究である: Sakitani (2013a, 2013c, 2014a, 2014b, 2014d, 2016a, 2016b, 2016c, 2017b, 2020b, 2021a, 2022c).

三つ目は、フランクルのロゴセラピー・実存分析の実践の場である臨床医学研究である: Sakitani (2013b), Sakitani & Taki (2015), Sakitani (2017a, 2017c, 2018b, 2018c, 2020b).

四つ目は、日沼教授の ATL 研究を発展・拡大させたバイオサイエンス・分子腫瘍学である: Sakitani (2015), Sakitnai & Taki (2018), Sakitani (2018a, 2019, 2020a, 2020c, 2022a, 2024).

このように、ヴィクトール・フランクルの哲学的および医学的な学術遺産は、フランクルの直接支援によって設立された日本人間学会と、日本におけるフランクル研究の開拓者霜山徳爾の流れを汲むCCC研究所との提携によって、今まで維持されてきており、その国際的な連携による成果を今後、日本国内にも共有して行く予定である。

 

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