4. 考察
(1) ホロコースト風化の懸念
ユダヤ人ホロコーストの忘却
2022年2月24日、プーチン・ロシアがウクライナへ侵攻して、罪のない多数のウクライナ市民を虐殺した。2022年3月4日の国際連合人権理事会で、ロシアによるウクライナ民間人に対する人権侵害を非難する決議を採択した。このことは、ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行ったホロコーストの再来と考えるべき悲劇である。ロシアのウクライナ侵略戦争はまだ続いている。同様に、2023年10月7日にハマスによるイスラエル攻撃が開始されたことによるイスラエル・ハマス戦争は双方に多数の一般市民の殺害につながるような人権侵害が起き、現在も解決できないでいる。ここでは基本的人権の蹂躙、国際法の無視という、普遍的視点の欠如が繰り返されているのである。
ユダヤ人ホロコーストは、過去に現実に起きた悲惨な事実である。それを記憶することは、再びその悲劇を繰り返さないための良心の声を喚起するものである。そのユダヤ人ホロコーストが今、忘却の淵に立たされている。
ユダヤ人ホロコーストが忘れられつつあることについて、以下の三つのホロコースト見直しという問題点が指摘されている。
- 広島・長崎、その他を含むホロコーストの一般化による、ユダヤ人ホロコーストへの関心低下 (Kansteiner, 2017, pp. 307-308; United Nations General Assembly 10569. 2007)
- ホロコースト否定 (Julius, 2000. 2. The nature of Holocaust denial: What is Holocaust denial?; European Fundamental Rights Agency, 2011)
- イスラエル政府によるパレスチナ人迫害についての誤った正当化 (Kansteiner, 2017, p. 308)
一つ目のホロコーストの一般化について、確かに原点であるユダヤ人ホロコーストが相対化される危険がある。そのため、フランス語圏では、曖昧な「ホロコースト」という用語を避けて、ヘブライ語の厳密な宗教用語である「ショアー (Shoah)」を使って、その相対化による関心の低下を避けようとしている (Bensoussan, 1996)。
二つ目のホロコースト否定は、ユダヤ人ホロコーストの事実そのものを否定するものである。到底受け入れられるものではない。
三つ目の、ユダヤ人ホロコーストによって、自らのパレスチナ人迫害を正当化することに至っては、その不当性に対して全世界的に大きな批判が起きている。アラブ系アメリカ人ラシード・ハーリディー (Khalidi, 2020) だけでなく、多くのユダヤ人、例えばユダヤ系アメリカ人ダニエル・ソカッチ (Socach, 2021)、ユダヤ系フランス人シルバン・シペル (Cypel, 2020)、さらにはユダヤ系イスラエル人イラン・パペ (Pappe, 2006) からも批判されている。
原点であるユダヤ人「ホロコーストを記憶せよ」
基本的人権の侵害、国際法の蹂躙、民族差別などの世界の混乱を見ると、改めて原点であるユダヤ人ホロコーストの事実を思い起こす必要がある (Berenbaum, 2005)。いかに多くの苦しみをユダヤ人にもたらしたかを知る必要がある。そしてユダヤ人達の声に耳を傾ける必要がある。
強制収容所で命を落としたアンネ・フランクは生前、1944年5月3日の日記で訴えている: いったい、そう、いったい全体、戦争がなにになるだろう。なぜ人間は、おたがい仲良く暮らせ無いのだろう。なんのためにこれだけの破壊がつづけられるのだろう (Anne Frank, Het Achterhuis, 2003, pp. 249-250 = アンネの日記, 2003, p. 486)。
私たちは、アンネと共に、心の声を静かに聞き、模索を続ける必要がある。
他にも多くの生存ユダヤ人達、その支援者の声を聞くことができる: フリッツィ・フランク (1982 [2002])、ハナ・ピック (1995 [2002])、エリック・バルク (バルク, 1996 [2002])、ソリー・ガノール (1997)、プリーモ・レーヴィ (2000, 2017)、ゾラフ・バルハフティク (2014)、エヴァ・シュロス (2015)、ジュディス・S・ニューマン (2020)、ミープ・ヒース&アリスン・レスリー・ゴールド (1994)。
「ホロコーストを記憶せよ」(Remember the Holocaust = Memento Halocaustum) という至上命令は、ユダヤ人生存者でアンネの親友であったハナ・ピックさんが伝えてくれた言葉である (ピック, 1995 [2002], p. 173)。
(2) 和解へ向けて
ユダヤ系イスラエル人達による和解の模索
イスラエルとパレスチナ人との対立は歴史的に根深いものがある (Khalidi, 2020)。そうであっても、ユダヤ人とアラブ人との協力関係を模索する動きもある。
ユダヤ系イスラエル人ガディ・グヴァルヤフは、ユダヤ系イスラエル人アラブ系イスラエル人、パレスチナ人との連帯を目指す「タグ・メイア」を創設した (Sokach, 2021, pp. 305-308 = ソカッチ, 2023, pp. 342-345)。グヴァルヤフは指摘する: タグ・メイアの連帯訪問では、悲しいときも嬉しいときも仲間意識が生まれます。そのおかげで、われわれ皆が神の似姿として生まれた人間であること、平和の時が来たことを、双方が真に認めるようになりました (Sokach, 2021, p. 307 = ソカッチ, 2023, p. 344)。…エネルギーを憎悪に注ぐのではなく、互いの言語や、歴史や、苦悩や、文化を学ことに注ぐべきです。つながりにエネルギーを注ぐべきなのです (Sokach, 2021, p. 308 = ソカッチ, 2023, p. 345)。
またユダヤ系フランス人シルヴァン・シペルも指摘する: 反イスラムの人種差別が拡散すれば、いずれ反ユダヤ主義の人種差別にも火がつく。彼らはいつになったらこのメカニズムに気づくのだろうか。一方、これに気づいたアメリカの若いユダヤ人たちは、自国の小さなイスラム教徒の共同体と協力関係を育んでいる。なぜなら、彼らは、こうした協力関係は反人種差別との戦いに必要なだけでなく、自国のイスラム教徒の間で反ユダヤ主義が拡散するのを防ぐ最良の方法だと確信しているからだ。逆もまた然り。アメリカの多くのイスラム教徒の団体は、ユダヤ人団体との交流を深めている (Cypel, 2020, p. 315 = シペル, 2022, p. 350)
しかもイスラエル・ハマス戦争の当事者であるユダヤ系イスラエル人達からもアラブ系イスラエル人やパレスチナ人との和解を求める動きがある。
・イスラエル情報機関元トップが語る「ハマスを怪物にしたのは?」 NHK. 2023年10月24日.
・ユダヤとアラブ 分断を超えたい: イスラエル南部ラハト 協力して支援活動. 朝日新聞. 2023年11月28日.
・母を殺したハマスがどんなに憎くても 平和の道を閉ざさない. NHK. 2023年12月19日.
・暴力は解決策ではない 息子を亡くした母は…. NHK. 2024年1月18日.
・アウシュビッツ生存者の子がパレスチナのために声をあげるわけ. NHK. 2024年1月29日.
そこには、憎しみを超えた和解の必要性、そしてパレスチナの人々に平和のための選択肢を与えることを訴えている。つまり、対立の次元を超えた普遍的視点から問題解決を探る声が、少数ではあるが、ユダヤ系イスラエル人の間から出てきていることは、今後のパレスチナ問題解決のためのかすかな光となっている。
フランクルによる和解の記録
既に述べたように、「夜と霧」新版で、フランクルは、強制収容所解放の時、ユダヤ人被収容者達がナチス親衛隊員である元収容所長をかばった (Frankl, 1977, pp. 128-129 = フランクル, 2002, p. 143)。なぜなら、「この所長はこっそりポケットマネーからかなりの額を出して、被収容者のために近くの町の薬局から薬品を買って来させていた (Frankl, 1977, p. 128 = フランクル, 2002, p. 143)」からである。つまり、収容所長という立場でありながら、その職務と離れ、自律的な判断に基いて、ユダヤ人被収容者のために人道的行為を行ったのである。
また、ユダヤ人被収容者達がかばってくれたおかげで、アメリカ軍指揮官は、この元収容所長をあらためて収容所長に任命してくれた (Frankl, 1977, p. 129 = フランクル, 2002, p. 143)。「この親衛隊員は、わたしたちの食糧を調達し、近所の村の人びとから衣類を集めてくれた。(Frankl, 1977, p. 129 = フランクル, 2002, p. 143)」
たとえユダヤ人達にとって迫害者であったナチス親衛隊員であっても、その職務を超えた人道的行為を行った意味を理解したことで、ユダヤ人達はかつての敵に和解の手を差し伸べたことが記録されている。
(3) 普遍的視点
自律的な判断による人道的行為
このように、職務を超えて、自律的な判断を行い、普遍的視点から人道的行為を行った者は、既に指摘したように、オトポールに避難してきたユダヤ難民の救助に当たった関東軍ハルピン特務機関長樋口季一郎、それを支えた満鉄総裁松岡洋右、さらにナチス・ドイツからの抗議を跳ね返した関東軍参謀長東條英機にも認められる。これら三者に共通しているのは、ユダヤ人問題を人道上の問題として把握していることである。そして友好国のドイツの国策であるユダヤ人迫害に対して、毅然とした態度で対峙したことである。
同様に、リトアニア・カウナス領事館副領事杉原千畝によって発給された命のビザは、その後、駐ソ連大使建川美次および駐ウラジオストク総領事代理根井三郎によって引き継がれ、さらに小辻節三の尽力によって、外務大臣松岡洋右の協力を得ることで、命のビザのリレーが完成した。
松岡はさらに以下の言葉を残している: 小辻はいい機会なので、ドイツと協定を結んだ松岡のユダヤ人に対する考え方を問うた。「簡単なことさ。私は反共産主義を支持するだけで、反ユダヤ主義を支持する気はない。この二つの問題はまったく違う意味の問題で、これを日本政府は正しく認識するべきだ」と答えた (山田, 2013, p. 65)。
このように、杉原千畝、建川美次、根井三郎、小辻節三、松岡洋右のいずれも、組織とは自律した思考を行い、より高い普遍的視点からユダヤ難民救済のための方策を探り、実行した。
対立次元を超えた普遍的視点
このように、相争う対立する次元を超えて、普遍的視点に立って解決策を模索することが重要である。
ベナン国親善大使エマニュエル・ベベニョン氏は、ベナン共和国の民主化過程を「和解から平和へ」という言葉で示している (Gbevegnon, 2022; ベベニョン, 2022)。奴隷貿易の負の遺産を克服するため、ベナン共和国ケレク大統領は1999年12月1日〜5日、和解のためのベナン国際会議を開催した (Gbevegnon, 2022, pp. 31-37, 142-154)。この国際会議では、三つの原則 (three principles)、1. 事実を振り返る (reconciliation of facts), 2. 過ちを認める (recognition of wrong), 3. 赦しと再生 (forgiveness and rebirth)、が確認された (同上, pp. 33-37, 147-154)。これは過去の対立を乗り越えて、高い次元での和解を進めるための貴重な原理である。
2023年10月7日に勃発したイスラエル・ハマス戦争において、日本政府がとった立場は、対立するいずれの立場を支持するのではなく、対立する次元を超えた普遍的視点に立ち、両者共に共存できる方法を探るというものである。
同様に、日本政府が掲げる「法による支配」(外務省, 2022; 岸田, 2023) は、普遍法に基礎付けられた国際法を遵守することを目指す。民主主義対権威主義というアメリカが採っている方針とは異なり、日本政府はそのような国際的な対立次元を超えた、普遍的な立場の重要性を訴えている。
(4) 宗教間対立を超える知恵
ヴィクトール・フランクルの普遍的宗教性
ホロコーストは、歴史的にヨーロッパ社会に深く浸透していたキリスト教によるユダヤ教排除がその背景となっており、ナチス・ドイツはそれを利用したものである。つまりキリスト教とユダヤ教との宗教対立がその原因であった。
この宗教対立の次元を超えた普遍的視点として、ヴィクトール・フランクルは、普遍的宗教性 (universal religiousness, die universale Religiosität, le religiosité universelle) と個別宗教 (denominational religion, die konfesionnelle Religion, la religion confessionnelle) との区別を示している (Frankl, 1985, p. 149 = 2012, p. 101 = 1988, p. 94)。この個別宗教間の対立がユダヤ人ホロコーストを引き起こしたのであり、この普遍的宗教性がいずれの宗教にも認められることから (1985, p. 152 = 2012, p. 101 = 1988, p. 97)、宗教間の相互理解の基礎になるのが普遍的宗教性である (Sakitani, 2022c, pp. 38-40, 42; 崎谷, 2022b, pp. 4-5; Sakitani, 2023k, pp. 27-28)。普遍的宗教性は、フランクルが強制収容所から解放された直後に概念化されたものである (Frankl, 1948, p. 47 = 1975, p. 46)。つまり、普遍的宗教性は、フランクル自身の強制収容所体験から導き出された祈りとも言える希望を示すものである。
遠藤周作の玉ねぎ
同じような普遍的宗教性と個別宗教との区別は、カトリック作家遠藤周作にも認められる。兵庫県西宮市夙川にあるカトリック夙川教会にて、遠藤周作は母親に勧められて、嫌々ながらカトリックの洗礼を受けた (遠藤, 1976, pp. 25-6; 1980, pp. 19-20; 1983, pp. 251-3; 1987, pp. 21-3; 1988, pp. 6-10)。しかし、そのことが遠藤周作の一生のテーマを決めることとなったのである (遠藤, 1955a, 1955b, 1966, 1976, 1988, 1993, 1997)。遠藤周作の最終的な世界は、最後の小説「深い河, 1993」でたどり着いたものである (Sakitani, 2023k, pp. 10-16, 23, 26-27)。遠藤周作の普遍的宗教性は「玉ねぎ」というありふれたもので表されている (遠藤, 1993, pp. 105, 108, 109, 110, 314, 315, 317, 357, 363)。どの宗教にも存在する普遍性をこの用語で示したかったからである。遠藤周作は「深い河」の主人公大津に語らせている (Sakitani, 2023k, pp. 15): でも、結局は、玉ねぎがヨーロッパの基督教だけでなく、ヒンズー教のなかにも、仏教のなかにも、生きておられると思うからです。思っただけでなく、そのような生き方を選んだからです (遠藤, 1993, p. 315)。
個別宗教間の争いを乗り越える普遍的宗教性に達したのは、フランクルだけでない。フランクルを知ることもなく、自力で遠藤周作もそれを実現したのである。
河内厚郎の宗教的寛容・普遍的価値
文化プロデューサー河内厚郎が「宗教的寛容・普遍的価値」という用語で示したかったことは、まさにこの普遍的宗教性による諸宗教の和解であったのである。その前提として、宗教的寛容が要請される。つまり、河内厚郎の高い知性は、ヴィクトール・フランクルが命がけで達成したもの、遠藤周作が一生をかけて達成したものの重要性を見抜いていたのである。この河内厚郎の精神性の高さは、今の混沌とする世界情勢の中で、日本の貴重な宝である。今までそれが評価されて来なかったことが、私は不思議でならない。
河内は、阪神大震災の折に宗教の垣根を越えて助け合ったことを報告している: 震災直後、中山手カトリック教会 (現・カトリック神戸中央教会。震災で半壊し、昨秋再建) では、言葉や肌の色をとわず、被害者に食料や毛布を配り、テント内で風呂を提供しました。イスラム教徒約四十人が避難生活を送った神戸ムスリムモスクでは、パンや牛乳などを道行く人たちに配布しました。新井アサハンムスリムモスク理事は「みんなが困っているときに宗教も民族も関係ない。治安が悪くなったこともなかった」と十年前を振り返ります (河内, 2006)。
このような宗教の区別を設けずに、お互いに助け合ったという事実に立脚して、河内は普遍的価値をもった宗教的寛容 (religious magnanimity, die religiöse Großherzigkeit, la magnanimité religieuse) の重要性を導き出し、その実現を唱えているのである。実に、宗教的寛容は宗教間対話のために必要とされる原則である (Sakitani, 2023k, pp. 16-21)。今後、河内厚郎が掲げる高い理念を皆で理解し、実現して行くことが、次に必要とされるステップである。
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