V.フランクルについて

「人間学」と同じようなもので、かつ体系化された学説として、ヴィクトル・フランクル(1905~1997)の提唱した『ロゴセラピー』があります。フランクルにおいて、ロゴセラピーとは「実存分析」の別名で、ここで言う「実存」とは、概略以下の三つのような意味合いに使用されています。

(1) 人間存在のあり方
(2) 存在の意味
(3) 意味への意志の実践

また、ここで言う「分析」も、フロイド流の分析でもなく、また分離分解(原子化)的意味合いの分析でもありません。人間存在に本来備わっている具体的な意味に光を当てて照らしだし、人間というものを理解しようとする、別な意味合いの分析なのです。しかし、アメリカでは、この「分析」の意味が、単に分離分解的意味合いに受け取られたため、フランクルは敢えて「実存分析」にロゴセラピーという言葉をあてました。

フランクルは、アウシュビッツの収容所体験の中で、人間が究極の状況にある時、自らの行動に意味を求める、ということに遭遇しました。たとえば、子供がガス室に送られようとした時、ある神父が「私が代わりに行きましょう」と申し出たこと、クリスマスに何人かが解放されるという噂が流れ、それを信じて生き延びてきた人達が、実際にクリスマスが来ても解放されなかったことで、ばたばたと死んでしまったこと・・・等々。このような極限の状況で生き残った人達は、皆生きる意味を携えていたという事実にフランクルは直面したのです。

これは、人間の心の原形を性的欲求や快楽への意志によって説明しようとして、人間を本能の衝動によって駆り立てられる存在とみなすフロイトの精神分析や、同じく人間の心の原形を、力への意志によって説明し、人間を何らかの力(地位、名誉、金など)によって支配される存在とみなすアドラー(フロイトの弟子)の個人心理学などでは、説明することができず、ここにフランクルは、第三の潮流としてロゴセラピーを確立したのです。

ロゴセラピーは、ギリシャ語の「ロゴス」と、治療という意味で一般化している「セラピー」との造語です。ロゴスはもともと言葉とか論理(ロジック)といった多様な意味をもつ言葉ですが、ここでは、人間の「精神」を表しています。それは動物・人間に共通の本能レベルの心理でもなく、また宗教で言う霊魂のことでもありません。言いかえれば、人間存在の「意味」、「人生の意味」とも言えます。ロゴセラピーとは、人生の意味を重視し、人がそれぞれの生活状況の中で「生きる意味」を充実させられるよう援助する精神(心理)療法なのです。

しかし、広い意味でのロゴセラピーは治療以上のものとも考えられ、「精神」を通しての人間理解の「学」であり、ここに私どもの考える「人間学」と同義と解釈できるとも言えます。

フランクルのロゴセラピーは、人間の中の動物性を否定するものではありませんが、人間特有の「精神」を第一義的と認め、人間の中の動物的「心理」を第二義的と認めます。つまり、人間は「快楽への意志」や「力への意志」などの衝動因子や環境因子によって影響されることを否定しませんが、心の中のより高い次元の「精神」を通して、自らの自由意志によって責任ある決断を行い、人生の意味や価値を追求しうる存在とみなしているのです。

ロゴセラピー理論の三つの柱は以下のようになります。

(1) 意志の自由
(2) 意味への意志
(3) 人生の意味


 動画 ヴィクトール・フランクルの講演 英語(約4分)
「Search for meaning(生きる意味への問い)」