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ベナン共和国の和解のプロセスについて

ベナン共和国出身のエマニュエル・ベベニョン氏は、ベナンが「和解と発展の運動」を国家的プロジェクトとしていることを伝えてくれました。当学会は、その中の「和解のプロセス」を研究し、当学会が研究してきた哲学的人間学をもって、具体的に世界の平和構築に貢献する運動として「和解運動」を推進しています。

I.ベナンの「和解のプロセス」に至る歴史の概要
ベナンは、人口約900万人(2012年4月時点)の西アフリカのギニア湾に面した国である。文化や習慣は、ブードゥーという伝統的宗教の影響を大きく受けている。ベナンの宗教は、ブードゥー教が65%、キリスト教が20%、イスラム教15%である。 かつてこの地域は、ダホメ王国を中心として、17世紀ごろから約300年にも渡り、大西洋奴隷貿易の中心だった。奴隷貿易が廃止され、1894年から1960年まではフランスによる植民地となった。 1960年には、アフリカ諸国の独立が続く中、ベナンもダホメ共和国として独立したが、奴隷貿易時代、植民地時代の400年近い期間に人材・資源が国外に流出したことで、国政は安定しなかった。ベナンは、1963年から10年間で成功したクーデターが6回というアフリカ諸国の中で最多数を記録し、「アフリカの病気の子供(A sick child in Africa)」と呼ばれるほど混乱した。その挙句は、世界的に共産主義が拡大する中、ベナンも1975年にはマルクス・レーニン主義による社会主義国家を目指すことになり、国名はベナン人民共和国と改められた。

しかし、15年後の1989年12月には経済破綻によりマルクス・レーニン主義を放棄し、新たな国家体制を模索することになった。これが話し合いで国民が和解し、平和裏に多党制民主主義を成功させることとなった国民会議であり、民主国家・ベナン共和国の新しい出発点となった。

II.「国家改革のための国民会議The Conference of the Vital Forces of the Nation(国民会議the National Conference)」を開催
「国家改革のための国民会議(国民会議)」は、1990年2月19日から2月28日までの10日間、コトヌー (Cotonou) のホテルAledjo PLMで開催された。参加者は、大統領中心の体制側、混乱中に国外に出ていた元大統領などの政治経験者、各宗教指導者、教師、メディアなど100ほどの各種グループ総勢500人におよぶベナン人である。また、ベナン駐在の各国外交官たちは発言権のないオブザーバーとなった。

ベナン人は、これまで奴隷貿易、植民地化など、混乱や不幸の原因がいつも国外からもたらされると考えてきた。しかし、彼らは、国が疲弊し尽くした時、その考えを改めて、問題の原因が国内にもある、もっと言うなら、自分自身の心の中に問題の原因があると考えた。そして、ベナン人の良き文化的伝統を土台とした道徳心・秩序と愛情が困難を克服させた。それはまた、問題を解決するための忍耐強い対話をも可能にした。

国民会議開催の目的は、政治論争の平和的解決、民主化、人権と法治国家、自由、経済と社会の発展について話し合うことであった。ベナン人のだれもが混乱状況を収拾し、幸福な社会を切実に願ったが、本当の出発点に立つために、問題を知ること、その事実を受け止めることが要求された。その中心にいたのが、体制側の代表、マチュー・ケレク(Mathieu Kérékou)大統領と国民の代表、カトリックの神父、イシドレ・ドゥスーザ(Isidore de Souza)大司教であり、二人は対話を続けた。

ついにケレク大統領は、国家を破綻させたことを国民に謝罪し、新しい体制に進むことを自ら宣言したことでベナンの歴史は大きく転換した。

国民会議終了のスピーチ - ケレク大統領
国民会議終了のスピーチ - ドゥ・スーザ大司教
国民会議20周年記念のスピーチ - 国連・潘基文事務総長(ベナン訪問に際して)

III. ベナンの「和解のプロセス」
 この国民会議による和解には次の「和解のための3原則」が働いていた。
    ① 歴史上の真実を知る
    ② 誤りを認める
    ③ 許し、恨みや怒りの歴史を転換する
「国家元首が自らの誤りを認め、国民がそれを許した」と書くのは簡単だが、この実践が容易でないことは誰でも想像できるだろう。国家元首、国民共に大きな課題は、「自己中心性」という問題である。自分を中心とした観点に捉われている限りは謝罪できないし、許すことができず、和解は成立しない。「和解のための3原則」に従おうとすれば、困難や厳しさを伴い、それを乗り越えることは容易ではない。だから、ケレク大統領は葛藤し、混沌とし、ある時には感情的になった。

しかし、ケレク大統領は、ドゥスーザ神父の忍耐とベナン人の文化的伝統からの道徳心と秩序と愛情により、本心の声に聴き従い、困難を克服した。また、ドゥスーザ神父を支えたのは、カトリック信仰と神父を支えたベナン人の伝統を中心とした一体感であった。

ドゥスーザ神父は、国民会議終幕のスピーチでケレクが「国を愛する人であった」ことを語っている。国を愛する国家元首と国民が一つになり、国難を乗り越えた。そこには、自分よりも他を思い、国を思う心が自己中心性を克服させた。国家元首が間違いを認め謝罪し、国民は家族の心でそれを許し受け止めた。

1991年に民主化初の大統領としてニセフォー・ソグロが選出され、退いたケレクだったが、5年後、かつての社会主義国家の大統領が民主国家の大統領として再選出され、10年間2期に渡り任期を全うしたことは私たちの興味を引くところである。

IV. 歴史的負の遺産「奴隷貿易問題」に着手
国民の和解が成立し、民主化したベナンは、国民会議を起点として国家の発展に向けて前進し始めた。しかし、ベナンがかつて大西洋奴隷貿易の中心地であり、多くの同胞をヨーロッパや南北アメリカに売買していた歴史の事実が発展を阻んでいた。

ユネスコの「奴隷の道」プロジェクトの報告では、約300年間に売買された奴隷の数が1,100万人に上る。ベナンの奴隷売買の中心地ウィーダからは約300万人が船に積み込まれていったという。2001年に開催されたダーバン会議(南アフリカ共和国)は、奴隷貿易と奴隷制度を「人道に対する罪」と認定した。

1999年2月アメリカを訪問したケレク大統領は、アフリカ系アメリカ人に対して奴隷貿易について謝罪した。同年12月には、ケレク大統領主導による「和解と発展に関する国際指導者会議(International Leaders’ Conference for Reconciliation and Development)」(ベナン・コトヌー市)では、奴隷貿易にかかわったヨーロッパ人、アフリカ人、アメリカ人の子孫が奴隷となった人々の子孫に謝罪し、歴史的な和解がなされた。

ケレク大統領は、この会議に先立ち、「発展を語る前に謝罪がなければならない。和解のない発展を神は祝福されない。」と述べた。この国際会議においても「和解のための3原則」が同じように働いていたが、それを可能にしたのは、会議の参加者に共通するキリスト教精神だった。キリスト教の伝統と実践、博愛、そして許しと寛容の精神を持つ人々が集い、歴史の汚点を整理し、新しい出発点に立った。

和解と発展のための国際指導者会議に先立ったケレク大統領のインタビュー

V. 「和解のプロセス」を世界の対立・紛争を解決するために活用
当学会は、ベナンの2つの和解の成功例を元に「和解のための3原則」とそれを働かせる要因があれば、世界中の和解を必要とする国や地域の問題を解決できると予測している。

2010年9月に当学会はネパールを訪問し、大統領を始めとする政治・宗教指導者に「和解のプロセス」を紹介した。その後、10数回に渡り選出できなかった首相が決定し、憲法制定議会が再開するなど、政治的混乱状況が徐々に緩和されてきた。

ベナンの国民会議で「和解のための3原則」は、ベナンの伝統による道徳心、秩序、愛情による忍耐により可能となった。また、奴隷問題を扱った国際会議においては、キリスト教の精神性が「和解のための3原則」を支えた。

この原則を普遍的に応用しようとするとき、当学会は、これまで研究を続けてきた哲学的人間学がベナンの伝統・習慣やキリスト教精神に変わり、その役割を果たし、文化や習慣が違う国や地域の和解を可能にするのではないかと考えている。

ベナン和解と平和のプロセス(チャート)