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研究会概要

2014年 (平成26年) 

<12月度>
社会 研究テーマ 「現代物理学の未踏の地をゆく-
                現代物理学から見た宇宙創成と人間存在(10)」
発表者 市ノ瀬 愼一 (日本人間学会 研究会員)

10回に亘る当シリーズの最終回は、今や現代物理学の正統的、主流的見解とされている「量子力学」が抱える根本的問題(矛盾)にメスを入れ、それとは異なる野心的とも言える新しい解釈の視点を紹介する。

「量子力学」は難解である。それは、“一つの粒子(電子や光子)が二つの穴を同時に通る”とか、“粒子(量子)は粒子性と波動性を併せもつ”、あるいは“○と△の両方を“重ね合わせ”た状態(決して丸みを帯びた三角という意味ではない)が存在し、人間が見た(観測した)瞬間に○か△かのどちらかに決定する(波動関数の収束)”といったような、日常の生活をしている人間にとっては全く理解不能とも言われることが平然と語られているからである。この理解不能で奇妙な見解は、ボーアやハイゼンベルクを中心として提唱された「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるものである。

「量子力学」は、アインシュタインが単独で作り上げた「相対性理論」と異なり、ボーア、ハイゼンベルク、ボルン、シュレディンガー、ディラックといった多くの科学者たちの協力によって作り上げられたものである。中でも数学的にはハイゼンベルクの「行列力学」とシュレディンガーの「波動方程式」が重要な要素となっている。シュレディンガーといえば、「シュレディンガーの猫」と呼ばれる思考実験で、量子力学の問題点と非日常的奇妙さを指摘した人物である。

シュレディンガーは量子力学の成立に大きな役割を果たしているが、彼自身は1926年に発表した、虚数(i)を含む自分の波動方程式に納得がいかず、1931年にはそれと異なる古典力学の流れを汲む「電子の粒子力学」を発表するが、物理学会からは無視されてしまう。シュレディンガーは最後まで粒子と波動の関係を解明することができないまま亡くなってしまう。その一番大きな理由は、当時はまだ彼の粒子運動の理論を裏付ける十分な数学的手法が登場していなかったからである。

物理学」の発展は、実は「数学」の発展と連動している。ニュートン力学(古典力学)を支えているのは彼自身が考案した「微積分学」である。これによって天体等のマクロ世界の物理運動は見事に説明できるようになったのである。しかし電子等のミクロ世界の運動は、微積分学で説明することができない。ここに新たな数学的根拠が必要となってきたのである。そこで量子力学は「行列力学」や「波動方程式」といった数学的手法を取り入れたのであるが、このとき力学上の重要な観点が切り捨てられることになった。

物体の運動、すなわち「力学」には「力学の二重構造」と呼ばれる二つの層がある。ひとつは「力学層」であり、もう一つは「道筋層」である。前者は物体のエネルギーの量や存在の分布等であり、後者は実際に物体がどのような道筋(軌跡)を描いて通ったのかということである。「力学」としてはこの両面を満たさなければならない。ところが「量子力学」は、前者のみに回答し、後者に関しては、“ミクロの存在は粒子であると同時に波動である”から、分からないというより、そもそも“それに答える必要はない”という立場をとったのだ。

一般的に物理学は、「ニュートン力学」(古典力学)と「その枠に入らないもの」(量子力学等)に分けられる。(相対性理論は量子力学からみれば古典力学に分類される。)しかし、「古典力学」対「量子力学」という対比は、その基準がきわめてあいまいである。

物体の運動は大別すると二つになる。ひとつは「滑らかな運動」で、もうひとつは「ランダム(ジグザグ)運動」である。前者はニュートン力学が扱う運動で、数学的に正確に表現すれば、“二回微分が可能な運動“ということであり、後者は微分することができない運動である。ここに、「滑らかな運動」と「ランダム運動」と「波動」という三つの概念が登場する。量子力学は粒子が「滑らかな運動」で説明できなければ、それは「波動」に違いないと結論づけたのであるが、必ずしもそうとは言い切れない。つまり、電子等のミクロの世界の粒子が「滑らかな運動」をしていないことは確かであるが、必ずしも「波動説」を取らなくても、「ランダム運動」として説明することが可能だということだ。波動の特徴である「干渉現象(縞模様)」にしても、ランダム運動の軌跡として説明することが可能なのだ。そうすれば、“一つの粒子が二つの穴を同時に通過する”といったような奇妙な見解をとる必要もなくなる。

しかし、その説明が可能になるためには、微積分学に代わるランダム運動を記述する“新しい数学”が必要となってくる。それがノバート・ウィナー、コルモゴロフ、ポール・レビ、伊藤清、吉田耕作といった人物たちによって構築された「確率過程論」なのである。「確率過程論」は純粋に数学の流れから出てきたものであるが、これを用いて電子の運動を、シュレディンガーの波動方程式をも満たす「ランダム運動」として説明することに成功したのが日本の長澤正雄なのである。

かくして、かつてシュレディンガーが、電子の運動を「粒子の運動」として説明しようとした試み(夢)は、「確率過程論」の登場と共に現実のものとなったのである。 勿論ランダム運動の方程式は簡単なものではなく、滑らかな運動(ニュートン力学)の方程式とは大きく異なっている。滑らかな運動は初期条件(入口関数)さえ与えれば、自動的に未来の状態を確定することができるが、ランダム運動の方程式は入口関数だけではなく、途中の推移確率や、最終的な観測条件すなわち「出口関数」と呼ばれるものを加えなければその解を得ることができない。しかし、今や「確率過程論」は、電子の運動のみならず、ブラウン運動、株価変動、車の渋滞等様々な社会現象を理解する上でも不可欠なものとなっている。

光子や電子の「ランダム運動」は、ブラウン運動とは異なり、真空が本質的に抱えている「ノイズ」がその原因であると考えられている。株価変動の場合、個々の人間の意志がこの「ノイズ」にあたる。立命館大学の山田廣成は、「対話原理小論―感性にもとづく量子力学の解釈と新しい自然観」と題する論文の中で、大胆にも“電子にも意志がある”と述べている。つまりランダムな運動の原因は電子自体がもっており、電子の振る舞いと人間の行動には驚くべき一致点が見出せるというのだ。勿論ここで言われる「意志」は、人間のような理性を伴った意志というよりも「確率的な選択」をする現象をさしており、意志の概念を一般化している。

「数学は証明、物理は多数決」と言われることがある。つまり、数学は厳密な論理的証明を必要とされるが、物理学の見解は、量子力学の「コペンハーゲン解釈」(「コペンハーゲンの霧」とも呼ばれる)の例に見られるように、理性による真理性の検証よりも、きわめて政治的バイアスのかかった結論が正統的見解としてまかりとおってしまうことも起こり得るということだ。

シュレディンガーもアインシュタインもほとんど弟子はなく孤高の人物だった。しかし、ボーア、ボルン、ハイゼンベルクといった、今日正統的立場にあるとされる量子力学の陣営の人々は多くの弟子を従え、あたかも「ボーア教」とも言うべき、集団的で強大な政治的影響力をもち、今日の物理学界の主流として君臨している。しかしそろそろボーアのかけたマジックから目を覚ます時がきているのかもしれない。

現在、最先端の加速器による精密な実験の結果、ハイゼンベルクの「不確定性原理」が成り立たない事象があることも明らかとなっている。又、アインシュタインとボーア、ハイゼンベルクとの間で論争されてきた「局所性」の問題に関しても、「アスペの実験」によって量子力学の見解の正しさが証明したとされる「ベルの定理」は、数学的に誤りであったことが、2012年長澤正雄によって指摘されている。 「量子論」をめぐる論争は、まだまだ決着してはいないのである。



●編集後記
原子のさらにその奥にある電子や光子の動きを究明しようとするなかで、物理学は単に「物の理」の学問ではなく、「存在とは何か」を問う哲学的存在論の領域に踏み出さざるを得ない状況にきているということを、市ノ瀬先生の講義を通じてあらためて感じさせられました。
そういった意味では、哲学や神学を専門とする人たちが、今回の一連の講義内容をどのように受け止めるのか、とても興味のあるところです。
いずれ、分野を越えた学際的な議論の場を演出できればと思います。



 


<9~11月度>
社会 研究テーマ 「永遠を志向する生命の階梯-
                現代物理学から見た宇宙創成と人間存在(9)」
発表者 市ノ瀬 愼一 (日本人間学会 研究会員)

- 9回目となる当シリーズもいよいよ人間存在に迫る段階に入り、今回は生物の遺伝と進化についての発表である。-

「生命の起源」については、現代科学をもってしても、まだまだ多くの謎に包まれた領域である。現在主流とされている考え方が、「複製前成説」(RNAワールド)と呼ばれるものである。すなわち初めに「RNAからなる自己複製系(遺伝暗号)」が存在しそこから生命が誕生したという仮説である。つまり初めに遺伝情報ありきということである。

しかし、これに対し、まずアミノ酸ができ、重合してポリペプチド、さらにタンパク質が作り出され、これが触媒として働いて生命を作り出したというのが、「代謝前成説」(GADV仮説、プロテインワールド)である。つまり初めに代謝による擬似複製が起こり、それによって遺伝暗号が徐々に形成されていったとするものである。前者は、いくつかの重要な点で実験による証拠が見つからない上、単純なものから複雑なものへという進化原則の観点からみても多くの難点を抱えている。

池原健二の「GADV仮説」では、初めにG(グリシン)A(アラニン)D(アスパラギン酸)V(バリン)という単純な4つのアミノ酸から、次第に複雑な遺伝暗号が出来上がっていく過程が、実験による実証と共に詳細に述べられている。

生物進化は全く異なる2つの側面を持っている。それは“変わる”ということと“変わらない”ということである。地球上の生物は遺伝情報としてDNAを持っている。これは全ての生物が共通の祖先から進化したことを意味している。それにもかかわらず、地球上には温暖な赤道付近から年中氷に閉ざされた極地に至るまで、様々な環境に様々な生き物が生息している。

この“生命の多様性”は進化の“変わる”という側面の結果である。一方、シーラカンスなどの“生きた化石”は何億年もの間その姿かたちが“変わらず”に生き続けている。これらの事実は、“突然変異と自然選択によって進化はー定速度で進む”と主張するダーウィン型の進化論では説明することができない。

古沢満の「不均衡進化論」では、生命が“変わる”という側面と“変わらない”という側面の相反する要素を、どのように作り出しているのかが詳細に解説されている。それが「半保存的複製機構」とよばれるしくみで、DNAの遺伝情報が転写、複製される時、ほどかれた二本の鎖がそれぞれ異なった方式で転写されているのだ。

片方は連続的な合成(連続鎖)であり、もう片方は不連続な合成(不連続鎖)となっている。前者は単純な方式なので突然変異(コピーエラー)の確率は低く、親の形質をそのまま継承する“変わらない”保守的機構であり、一方後者は複雑な複製機構のため突然変異の頻度が高く、“変わる”革新的機構となっている。

環境の変動がほとんどない平穏期は前者が優勢となり、環境の変動に適応しなければならない時は後者による新しい形質の創出が必要となってくる。生物はこのように実に巧妙な方法で、保守的性質を維持しつつ、一方では突然変異によって進化の実験をしつつ、環境に適応する性質を自ら作り出しているのである。「不均衡進化論」は“変わらない”という側面が担保されることが重要な点となっているので、“元本保証された多様性拡大”と言うことができる。

突然変異は、DNAの物理的構成要素である電子がもつ量子力学的な不確定性原理に基づく“ゆらぎ”にその原因があるため、これを避けることはできない。しかし生物は、その量子力学的ゆらぎを巧みに利用し、環境に適応する新しい質を生み出してきたのである。

このような生物のもつ、保守と革新、不変と変化、正確さと曖昧さ、といった両側面は、生物一個体ではうまく機能させることができないので、かれらは「集団」というかたちでこれらを機能させ絶滅を回避してきたのである。

ダーウィンの「無神論的進化論」と、神による「創造論」は対極に位置する考え方であるが、進化の原因が「他律的」であるという点では共通している。しかし、生命は自然環境や神の干渉に対してただ受動的に反応する機械ではなく、自ら積極的に新しい質を生み出そうとする能動的主体的存在であることが極めて重要な点である。